文京区日本中国友好協会

70年の歴史、350余の地区協会を有する

活動

2024 / 11 / 29  21:00

文京区日本中国友好協会設立二周年記念パーティー

文京区日本中国友好協会設立二周年記念パーティー
文京区鳩山会館にて設立2周年記念パーティーが行われました。青年訪中団の大学生、都日中青年委員会の若者など40名が集まり、活気のある会となりました。モンゴルの四胡の演奏から始まり、その独特な歌い方、音色は参加者を魅了しました。
また、鳩山由紀夫元内閣総理大臣より挨拶があり、祖父一郎氏が亡くなる直前に書かれた「貴為和」の書(和をもって貴しとなす)を紹介されました。また、「中国との友好関係は民間の交流こそ、最も強固なものであるから是非頑張って欲しい」との激励がありました。
次に成澤廣修文京区日中名誉会長、文京区長より、文京区には中国に関係する様々な重要な場所や歴史があること、また、近年、文京区の小中学校に入学を希望する中国人が急増していることに関連し、文京区日中友好協会に対して協力を要請されました。 次に藤田基彦様(日中友好協会参与、元ホテル箱根小涌園支配人、文京区フォーシンズホテル椿山荘中国担当本部長)より祝辞があり、かつて藤田組が繁栄したのは鳩山家が所有していた柵原鉱山を購入できたおかげだったと述べられ、鳩山元総理が「初めて知った」とおっしゃったのは印象的でした。100年以上前のことを現在、互いの子孫が会って振り返っていることは印象的でした。さらに藤田さんより、日本は歴史上、中国から多くのことを学んだ恩を忘れず、日中友好交流が絶えることなく進展することを願っていて、文京区、日中友好人士の立派な先人達に習い、文京区日中が今後20年、200年と発展することを祈念されました。
また、松丸昌史文京区日中友好議員連盟会長より乾杯の挨拶がありました。
祝賀会は「中国文化人7つのたしなみ」をテーマに、琴、棋、書、画、詩、酒、茶が体験出来るブースを設け、参加者同士の交流を深めました。これらは中国文化人にとって必要な教養とされています。教育、文化といった面を重視している文京区とも馴染みの良いテーマとなりました。
最後に会長の小穴源太郎より挨拶があり、「教育と相互理解こそが平和につながると信じており、今回は多くの学生、若者の皆さんにお声を掛けさせていただきました。今後も様々な活動の場を提供し、友人を増やし、互いに発展していきたいと思います」等述べました。
2024 / 04 / 07  11:18

日中ファッション交流会

日中ファッション交流会
4月6日、池袋の池Bizにて日中ファッション交流会が行われました。
日本人はチャイナドレスを着て中国人は着物を着るなど、新しい試みであり、一人ひとりが輝いて見えました。
良い文化交流の場となりました。
文京区日中は後援団体として参加しました。
<詳細は都日中のホームページに記載>
2024 / 02 / 03  18:33

新春日中女性の集い 新橋亭にて

新年女性の集い 新僑亭にて

2月3日、新橋中華料理「新橋亭」にて新春日中女性の集いが行われました。昭和21年創業の格式高いレストランで本場北京料理に舌鼓を打ちました。エビチリ、仏跳牆(フォテーチャン)、麻婆豆腐はおすすめです。大使夫人もお見えになり良き交流の場となりました。

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2023 / 12 / 08  22:00

懇親会

懇親会

会員等20人が文京区関口の中華料理店に集まり交流を深めました。新たに中国企業家などメンバーも増え、ビジネスチャンスが広がることにより、今後一層中身のある会にしていきたいと思います。

文京区日中はおかげさまで設立後1周年を迎えることができました。在日中国人の皆さんは大変活動的で交友関係は着実に広がっています。今年一年を振り返ってみると、文京区に拠を構える企業家の会合、シェアオフィス開設、アジア音楽舞踊演奏会共催イベント、有志による満蒙開拓平和記念館訪問、中国茶を楽しむ会、会員間のコラボで書籍「田漢と谷崎潤一郎」出版などが会員の間で活発に行われました。また、会員の1人は衆議院議員選挙に挑戦予定となり、驚きの報告がありました。皆さん頼もしい方ばかりで今後の活躍が期待されます。

2023 / 09 / 17  16:00

満蒙開拓平和記念館訪問

満蒙開拓平和記念館訪問

9月17日、満蒙開拓平和記念館を千葉県日中友好協会の皆さんと訪れました。この記念館は長野県下伊那郡阿智村駒場にある博物館で、旧満州(中国東北部)に入植した満蒙開拓団の苦難の歴史を伝え、平和の尊さを次世代に語り継ぐために2013年4月に設立されました。近代史を知る上で私たち日本人であれば誰もが一度は訪れるべき博物館でしょう。

太平洋戦争当時、生糸の市場価格が暴落、養蚕業の衰退、貧困にあえぐ農家に対し、国は「20haの農地と豊かな生活を与える」といい、27万人の日本人を入植させました(長野県は最も多い37,859人)。しかし、戦況が徐々に悪化。1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾、戦争が終結してもなお、満州ではソ連軍の進軍によって8万人が犠牲となり、命からがらの逃避行を強いられました。自分はさておき、我が子だけでも命を救いたいと願う中、仕方なく中国人に預けられた子供がいわゆる中国残留孤児です。満蒙開拓ミニ知識を参照ください。(記:文京区日中 小穴源太郎)

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2026.03.14 Saturday